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DNAの展覧会鑑賞記録帳
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鑑賞日 2008年6月8日(日)
会 場 Bunkamura ザ・ミュージアム
会 期 2008年5月17日(土)~2008年6月15日(日)
    入場料 大人1300円 高校大学生900円 中学生600円
図 版 2500円 

ピエール=ジョセフ・ルドゥーテの原画による多色刷り点刻銅版画(手彩色補助)フォリオ判169葉とアルフレッド・パーソンズのリトグラフ、二口善雄の水彩画、齋門富士夫の写真から構成される、すべてがバラの花に埋め尽くされた展覧会です。会場には、バラの香りが漂い、軽やかな音楽が流れています。
 18世紀は博物学の時代でした。自然界のあらゆるものを科学の目をもって解明していこうと、地質学、植物学、動物学などが発展した時代です。その機運に乗って、装飾画家として出発したピエール=ジョセフ・ルドゥーテは植物研究家レリティエに出会い、科学的正確さを求められる植物画家としての道を歩み始めます。
 植物学的な正確さのみならず、さまざまな薔薇の花がもつ個性と魅力を存分に描ききった作品は、見るものを惹きつけます。つやつやと光る葉の質感、幾重にも重なる花びらの薄さ、柔らかさまで写し取られ、つぼみや枝の表情はまさに「薔薇の肖像画」と呼ぶにふさわしいものです。
今回の展示では3人の画家の作品が並んだわけですが、同じ花を描いてもその味わいが違います。植物学的な正確さとは別の次元で、それぞれの画家が薔薇という対象物に向かい合い描き出したものは、まったく違う印象を与えるのです。
 ピエール=ジョセフ・ルドゥーテの作品は、薔薇が自ら彼を指名して自分の姿を描かせたのではないかという妄想を引き起こします。それほど、一枚一枚に描かれた薔薇の姿が個性的で魅力的で、雄弁です。薔薇の花が持つ魅力を画面に封じ込めた力量はすばらしいです。残された会期はわずかですが、薔薇好きの方には絶対お勧めの展覧会です。
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鑑賞日 2008年4月24日(木)
会 場 Bunkamura ザ・ミュージアム
会 期 2008年2月2日(土)~2008年5月6日(火)
    入場料 大人1400円 高校大学生1000円 中学生700円
図 版 2500円 


私の美術展デビューは池袋西武百貨店で1972年秋に開催された「ルノワール展」だった。今回の展示にその時に見た数点が含まれていた。とりわけ「田舎のダンス(オルセー美術館蔵)」は「町のダンス」と共に印象深かった作品で、今回36年ぶりに見ることが出来て、とても感慨深かった。
発表当時酷評された「陽光の中の裸婦」は、木漏れ日を纏ったような
女性の肌が、とても魅力的だったし、昨年秋に東京都美術館で開催された「フィラデルフィア美術館展」に出品されていた、「アリーヌ・シャリゴ(ルノワール夫人)の肖像」もまた見ることができた。この若妻を描いた絵は何度見ても良いと思う。今回は画家の父と映画監督の息子の作品を並べることによってその影響関係や共通項を探るという意欲的な企画だったのだが、絵の隣に、映像作品が映し出されるという不思議な体験が出来て面白かった。ルノワールが結婚したのは39歳、次男ジャンが生まれたのは53歳の時である。年をとって出来た子供は可愛いというけれど、ルノワールは三人の息子をとても可愛がったという。子供たちを描いた肖像はどれもとても暖かくてやさしい。画家として大成した父に愛されて育った息子たちは、揃って芸術家の道を進んだわけだが、強制されたものではなく、絵を描くことをこよなく愛した父の姿を見て育ち、自然にそうなっていたんだろうと思う。絵に描かれた通りの幸せな家族だったのだろう。

それにしても、ルノワールは本当に豊満な女性がすきだったのだろうと思う。彼の描く女性の胸に顔を埋めたら、どんなにか幸せな気分になれるだろう・・・。大地の女神のような女性たちは本当に魅力的だと思う。
痩せすぎているといわれる日本の若い女性には、少し彼の絵を見て思い直してもらいたいなあと、いらんことを考えてしまいました。
鑑賞日 2008年4月19日(土) 
会 場 東京国立近代美術館
会 期 2008年3月29日(土)~2008年5月18日(日)
    入場料 一般1300円 大学生900円 高校生400円
図 版 2300円

生誕100年を記念して開かれた過去最大の回顧展とのことで、代表的な作品101点、スケッチや習作を含め総出品点数は154点にもなる。

東山魁夷の作品をはじめて見たのは、親に連れられて毎年見に行った日展でだったと思う。「白馬の森」「春雪」「夕静寂」は確かに会場で見た記憶が残っている。深い青の色、緑の色、白馬がたたずむ幻想的な森。子供心にも印象深かったのだと思う。中学に入って、親子で日展に出かけることもなくなったが、家にあった魁夷の画集はよく眺めていたと思う。
高校生の時に、「日本の美を求めて」と題された著作を読み、画家という人たちはなんと高い精神性を作品に込めるのだろうと思ったものだ。
今回印象深かったのは、魁夷の作品は、見ていてちっとも疲れないということだった。先日、横山大観の展覧会を見に行ったときには、人が多かったせいもあるのだろうが、とにかく疲れた。作品に精気を吸い取られたかのような錯覚すら覚えた。魁夷の作品はまるで逆で、見ていて力が分け与えられるような暖かくて、穏やかなやさしさを感じた。魁夷の作品からは何かしらのエネルギーが出ているのではないかとすら思う。特に、唐招提寺の襖絵「濤声」は二階展示室に特別に唐招提寺の御影堂をそのまま移してきたような設えで展示されていたのだが、その前に立ったとき、海風が吹き渡ったように感じた。この作品は、唐招提寺展で見たことがあったのだが、そのときもやはり、風を感じたのだった。左手からうねり打ち寄せる波が中央の頂に松が生えた突き出た岩に砕け、皿に右手奥の岩場に打ち付けて白い波が泡立っている。そして勢いを弱められた波は、小さな波に変わり、画面には描かれていないけれども、きっと白い浜へと打ち寄せていくのだろう。この海は生きている。描かれた青と緑で描かれた海水の下には海底が確かにあって、海面と海底の間には、たくさんの命が存在しているのだと、素直に思えてしまう。時間を忘れてずっと見ていたい。そう思う絵だ。
 ゴールデンウイーク中は混むだろうけれど、ぜひ家族で見に行って欲しい。小学生でも、絵が好きなお子さんだったら、きっと喜んで見ると思う。とにかく画集では味わえない、鮮やかでありながら深くやさしい色と、現実とも幻想とも取れる美しい風景を、やわらかい心の子供たちに見せてあげて欲しいと思う。

もうひとつ、今回、常設展で見た作品に深い印象を受けたものがあった。
藤田嗣治の「アッツ島玉砕」だ。第二次世界大戦中に多くの画家たちが国家の要請を受けて国威発揚のための戦争画を描いた。戦後生まれの私には当時その絵をどのように人々が見たのかは判らない。戦争に協力したと戦後断罪された画家もいたと聞いている。しかし、この絵を見て、この絵が国威発揚の為にかかれたものでも、第二次大戦の一戦闘を描いたものでもないと思った。兵士たちが入り乱れて鬼気迫る殺戮の場面は確かに20世紀の姿なのに、なぜか、ギリシャローマやヨーロッパの歴史画に描かれた戦争を思い起こさせる。恐ろしい絵なのに、祈りを感じる。不思議な絵だ。もし、出かけられたら、この絵もぜひ見てみてほしい。

鑑賞日 2008年4月12日(土) 
会 場 国立西洋美術館
会 期 2008年3月4日(土)~2008年5月18日(日)
    入場料 一般1400円 大学生1100円 高校生650円
図 版 2300円

西洋美術館では企画展に際し、何回かの記念講演を行っている。今回の展覧会についても全5回の講演がある。往復はがきで申し込み先着順ということで、めでたく全5回の聴講券を手に入れることが出来た。今日はその3回目の講演日。午前中は展示を見て、午後から講演を聴くということにした。既に2回の講演を聴いているし、カタログは先に買って予習したし、さて、今日こそは麗しのヴィーナスさまにご対面~と意気込んで出かけていったら、開館10分前で既に門の前には5・60人の列が!やはり、陽気もよくなり出足が早くなっているらしい。とにかく、入場したら、まずは目玉である「ウルビーノのヴィーナス」が展示されている部屋に直行!!同じことを考える人がいるんですね。彼女の前には既に10人ほどの人が並んでいました。

絵の前に進み出て、輝くばかりの裸体に私の目は釘づけになった。そして驚いたのは、ヴィーナスの表情が図版と全く違う印象だと言うこと。図版でやわらかく愛らしいと感じていた表情が、実際に見たら、なんと挑発的であることか!画中の人物に目力があるという言い方は変かもしれない。しかし、見るものに向けられたヴィーナスのまなざしは、なんとも力強く見るものを捉え、問いかける。「私の美しさをよく御覧なさい!これほどの美をあなたはご覧になったことがあって?」と。
 最近の図版はとても印刷がきれいなのだが、やはり、本当の作品の力を再現できるわけではないのだと、改めて思い知らされた。
 
 今回の展示は古代ギリシャ・ローマ時代から「美の女神ヴィーナス」の主題がどのように取り上げられ、また変化していったかが丁寧に取り上げられている。まあ、いろいろ難しいことを言うより、この展覧会は女神の美しさを素直に堪能して良いのではないかと思う。「ウルビーノのヴィーナス」はもちろんのこと、絵画・彫刻・工芸品等に表わされた女神たちの美しさはまさに眼福の極みと言って良い。私が展示品の中で特に楽しめたのは彫刻作品。ひとつの作品でも、見る角度によって表情を変える女性の肉体の美しさの不思議を感じました。石やブロンズで作られているのにまるで体温を感じさせるようなやわらかさがあるんですよ~。それに、女性らしいふくよか感もたまりません。
 ゴールデンウイーク中は混むと思いますので、興味のある方はお早めにお出かけになることをお勧めします。
鑑賞日 2008年3月15日(土) 
会 場 埼玉県立近代美術館
会 期 2008年2月2日(土)~2008年3月23日(日)
    入場料 一般800円 学生600円
図 版 2000円

 熊谷守一の絵を知ったのは中1か中2の頃だと思う。父親が集英社の現代日本美術全集の頒布購入をはじめ、毎月画集が届くようになった。熊谷守一は萬鉄五郎と一冊になっていて、萬鉄五郎の方はあまり気にもならなかったのだが、熊谷守一の絵は非常に大きな衝撃を受けたことを今でも覚えている。
 そのころ私は野良猫を庭先で餌付けし「ねこ」という名前をつけて可愛がっていた。尻尾の長い三毛猫でなかなかの美猫だった。
 中学生の私は、其の頃は美術史なんて知らないただの絵好きの子供だった。だからこそ熊谷守一が描く猫の絵が、実に猫の姿を上手く写していることに感動したのだろう。守一様式といわれる輪郭線に縁取られた単純化された形と輪郭線の中の明快な色彩の平面に、猫の体のしなやかさ、温かさを瞬時にありありと感じとることができた。「この絵が好き!」一目でそうそう思えた。なにか憂鬱なことがあるとき、熊谷の猫の絵を思い出した。のんびりと縁側に寝そべり幸せそうに眠る三毛猫。絵を描いた熊谷守一自身のことについては其のとき何も知らないままだった。
 会社の美術好きの同僚が、「熊谷守一展を埼玉県立近代美術館でやるよ」と教えてくれたのは昨年秋だった。それから、ずっと楽しみにしていた。息子の受験も終わり、やっと見に行くことが出来のだ。
 没後30年を記念しての回顧展ということで、初期から晩年までの作品が200点近く集められている。熊谷の作品はみな小さなものばかりで、大きさで人を圧倒するようなものではない。しかし、最も初期の頃の作品から独特の空気を感じる。東京美術学校の卒業制作として描かれた自画像のまなざしに釘付けになってしまった。なんというまっすぐで透明なまなざしなのだろう。今回の展覧会の最期に画家の姿を捉えた写真の展示があったのだが、高齢になった彼のまなざしは、この自画像のまま、まっすぐで透明だった。ああ、こんな目をしているから、彼は究極の線と平面で命溢れる絵がかけたのだなあと得心した。カタログを購入したものの、やはり本物の色にはかなわないし、平面といいながら、その筆あとの残る画面は、単純な平面でもないのだ。キャプションを見ながら、「個人蔵」となっているものがとても多いことに気がついた。私は絵を見ることが大好きだが、其の絵を所有したいと思うことはめったにない。しかし、熊谷守一の絵は所有したいと強く思った。きっと、何気ない小品を手元において、朝に夕に眺められたら、きっと穏やかな毎日が暮らせるように思えるのだ。熊谷の絵は、手元に置いて、本当に毎日目の端に入れておきたい、そんな絵だと思う。
 自宅の50坪ほどの庭に繁茂する植物の中だけで30年間一歩も外に出なかったという熊谷守一は仙人にも例えられる。そんな彼だからこそ描けた絵なのだろうなあと納得させられる。会期はあと一週間だが、ぜひお勧めしたい展覧会です。
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