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DNAの展覧会鑑賞記録帳
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鑑賞日 2009年10月17日(土)
会 場 東京都庭園美術館
会 期 2009年10月10日(土)~ 12月23日(水)
入場料 一般1000円、大学生800円 小・中・高校生500円
図 版 2000円


1659年(万治2)10月15日、オランダ東インド会社によって長崎から5,748点の陶磁器を積んだフォーゲルザンク号が出帆し、日本からヨーロッパに向けて本格的に陶磁器の輸出が始まって、今年で350周年を迎えたそうです。それを記念して開催されたこの展覧会には、パリ在住のコレクター碓井文夫氏の収集品を中心に、165点が出品されています。

日本における磁器製造の歴史は16世紀末秀吉の朝鮮出兵の際、佐賀領主鍋島氏が朝鮮人陶工を連れてきて、磁器原料であるカオリン土が有田地域で発見されたことによりはじまった。それまでは、日本でも磁器は中国からの輸入に頼っていました。当時朝鮮では白磁が中心だったが、日本市場では景徳鎮に代表される染付の需要が高かったため、それを模した染付製品が多く作られたそうだ。

日本でも磁器製造がはじまったものの、本家の中国製品が順調に輸入されていたならば、あくまでの後発品としての地位に甘んじなければならなかっただろうが、1644年、中国が明朝⇒清朝への王朝交代の内乱となり、製品輸入が途絶える。この機会に、有田を中心とした国内窯の製品が一気に日本市場を独占するようになる。中国の内乱は、技術者の海外流出を引き起こし、日本にも中国から技術者の移動に伴う技術移転が起こった。日本の磁器生産技術が一気に押し上げられることになる。

中国の内乱により中国製品の激減が、日本製の磁器の販路の拡大。オランダ東インド会社は、調達ままならぬ中国製品から、独占的に貿易を行える日本の磁器の輸出に力を入れて行く。最初は中国製品の代替品として、中国製品を見本としたコピー商品の注文を受けていく。オランダ東インド会社はヨーロッパで売れる商品を注文し、その注文に応える形で製品が作られ、輸出されていく。ヨーロッパの生活スタイルに合わせた磁器が日本人の手によって生産されたという事が非常に興味深い。

やがて、日本独自の美意識で飾られた色絵や金襴手といった製品が生み出され、ヨーロッパで好評をはくし、生産を再開した中国製品が逆コピーするという現象まで起こしている。

政権が安定し安定供給できるようになった中国窯との価格競争に敗れ1757年公的な有田磁器の輸出は終わりを迎える。

そして、1709年マイセン窯で磁器生産に成功し、18世紀末にはヨーロッパ製磁器が東洋磁器を市場から締め出していくことになる。

美しい品々の裏に、今に通じる生産・流通のさまざまな駆け引きや苦労が透けて見えてとても面白い展覧会だった。

庭園美術館は元皇族の邸宅跡ということで、非常にコンパクトな展示スペースでありながら、落ち着いて作品を楽しむ雰囲気に満ちた空間になっている。

こちらの美術館の入口にあるカフェ・レストランは老舗料亭の出店なのだが、1500円ほどで美味しいランチが食べられる。展覧会を見て、美しい庭園を散策し、おいしいランチを食べるという、贅沢が一か所でできるのはうれしい限り。



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